長江におけるカラチョウザメの日本と中国の共同研究
寄稿論文:2007 年 1 月 9 日
宮崎信之 (東京大学海洋研究所)
1.はじめに
長江(揚子江)は、中華人民共和国の青海省のタングラ山脈の高峰グラダンドンの南西部にあるジャングデイジュ氷河をその発源として、チベット、雲南、四川、湖北、湖南、入西、安徽、江蘇の各省を経て東シナ海へ注ぐ全長約6380kmの河川で、流域面積が約185万km2の世界三大河川のひとつとして知られている。有史以前から、長江は上流域から木材、石炭、鉱石などを東シナ海へ、東シナ海からは農具、食料、日常品などが長江周辺域へ運搬されるという物流の基幹河川であり、周辺の人々の生活と深い関係があることが知られている。
長江に生息しているカラチョウザメ(Acipenser sinensis)は、ヨウスコウカワイルカとともに中国の保護動物としてのシンボル的存在になっている。本種は長江に生息する遡河回遊魚で、ダムにより回遊経路が遮断されるまでは東シナ海で摂餌し、河口から2500-3000km上流で産卵していた。しかし、近年、電力供給、治水などの目的のために葛州覇ダムと三峡ダム(ともに魚道無し)が長江河口から約1900kmの地点に建設されたために、チョウザメの回遊経路が遮断された。本種は、従来の産卵場までたどり着くことができなくなると同時に、生息環境の悪化により個体数は著しく減少し、IUCNレッドリストの絶滅危惧種および中国の国家一級保護動物に指定されるようになった。
このチョウザメの個体数回復と生息環境の保全をはかるために、中国水産科学院長江水産研究所のウエイ博士が中心になって本種の行動や生息環境の調査を実施してきた。彼らの活動はカラチョウザメの個体数回復や生息環境の保全のみならず長江全体の生態系の保全や周辺域住民の生活の向上にも大きな役割を果たしていることから、中国政府は彼らの活動を積極的に支援している。
2.葛州覇ダムと三峡ダム建設に伴う環境の変化
三峡ダム計画は1919年に提出され、1992年の第7回中国人民代表大会で承認された。その後、ダムの建設は開始され、2009年に完成の予定である。このダムの長さは2039mで、高さは185mである。これまでの調査では、葛州覇ダムと三峡ダム建設で回遊経路が遮断されたチョウザメはダムの下流で産卵を始めていることが確認されたが、その実態はほとんど知られていない(Wei
et al. 1997)。
長江周辺域で生活している住民は、長江を物質の重要な運搬ルートとしてだけでなく生活排水や廃棄物の投棄の場としても利用してきた歴史がある。通常、約3ノットの水の流れが、ダム建設後1ノット以下になり、しかも水位が150-170mにも上昇することから、葛州覇ダムと三峡ダムの上流域の自然環境が大きく変化することになった。その結果、周辺域から流入する生活排水や廃棄物により長江は汚染されるとともに、川底の溶存酸素が低下し汚染物質が河川の底に残留し、チョウザメなどの固有の生息生物の環境条件の悪化が懸念されるようになった。
一方、風光明媚な長江の観光を対象にした遊覧船が重慶と宣昌の間を頻繁に往復するようになり観光事業は近年飛躍的に発展し、長江の経済的価値が高まってきた。したがって、長江では、葛州覇ダムと三峡ダム建設にともなう自然環境、経済環境、社会環境の変化を正確に把握するとともに、野生生物の保護、自然環境の保全、周辺住民の生活向上などに十分配慮した総合的な対策が求められている。
3.カラチョウザメを対象にした日本と中国の共同研究
図1 長江(揚子江)の三峡ダム上流の調査地点の風景。
図2 葛州覇ダム下流の産卵場で捕獲された野生のカラチョウザメ(体長347cmのメス)。後ろの漁船でこの個体を捕獲した。
図3 カラチョウザメの背部に装着したデータロガー。発見者は長江水産研究所に連絡するように、電話番号がロガーに記されている。
図4 野生のカラチョウザメに装着したデータロガー(矢印の先)の回収に初めて成功した瞬間。回収に協力してくれた楊教授(前列左)、その大学院生(後列)、著者(前列右)。
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東京大学海洋研究所のチーム(研究代表者:宮崎信之)は、中国水産科学院の長江水産研究所のWei博士から要請を受けて、2005年にカラチョウザメの行動生態に関する共同研究を開始した。本研究チームは、国立極地研究所の内藤靖彦・名誉教授を中心に日本が独自に開発した小型で高性能なデータロガー(水深、水温、速度、加速度の情報を数秒間隔で収集できる優れた機器)を野生のカラチョウザメに装着し、チョウザメ用に開発した切り離し装置を使用してタイマーで予定時刻に切り離し、ロガーを水面上に浮上させVHFで発信し、八木アンテナを用いて回収するという一連の活動を中国と共同で実施した。
三峡ダムの上流域で、2005年3月と2006年3月の2回、人工繁殖した体長114-151cmのカラチョウザメを使用して予備調査を実施し、一連の装着・切り離し・回収作業システムを完成させ、7個体の潜水行動記録を得ることに成功した(図1)。
データロガーの記録は現在解析中であるが、チョウザメの潜水行動には、(1)20-30mの浅い潜水活動と(2)100m付近での深い潜水活動の二つのパターンがあることが明らかになり、前者は鰓で酸素を吸収し活発に行動するが、後者はゆっくりと遊泳し、鰓だけでなく時々表層へ浮上し口で酸素呼吸をするような行動が推測されている。
予備調査の成功を背景に、野生のカラチョウザメの産卵期に合わせて、2006年10月、海洋研究所から調査チームを宣昌に派遣した。葛州覇ダムの下流に新しく形成されつつある産卵場に来遊するカラチョウザメを地元の漁師に小型延縄を用いて捕獲してもらい(図2)、その個体の背側にデータロガーと切り離し回収システムを装着した(図3)。同時に、小型のピンガー(Vemco社製V13)を装着し、チョウザメを長江に放流した。その後、長江水産研究所のモーターボートを使用して、ピンガーからの信号を頼りに一定の間隔を保ちながら追跡し、切り離し時刻に現場で待機し、ロガーの回収を行った(図4)。実験に使用した体長約3.4mの個体から、それぞれ8時間、24時間、72時間の潜水行動の情報を入手することができた。また、調査終了後、産卵場周辺の環境情報を収集するためにポータブルのSTD測定器を用いて水温や溶存酸素の鉛直分布の観測を行った。これらの調査の予備解析により、これまで知られていない野生のカラチョウザメの産卵場で行動特性が次第に明らかになってきた。詳細な調査結果については機会を改めて報告したい。
4.おわりに
経済が飛躍的に発展している中国、その代表的な河川である長江は産業活動の活発化にともない様々な環境問題に直面するようになった。その結果、中国の代表的な生物であるヨウスコウカワイルカやカラチョウザメの生息環境が乱され、個体数の激減が起きている。このような状況を背景に、中国では葛州覇ダムと三峡ダムの建設により引き起こされた環境の変化がカラチョウザメに与える影響を調査するとともに、周辺域に生活する人々の生活向上を十分に配慮した総合的な対応策が求められている。
東京大学海洋研究所のチームは長江水産研究所のチームと学術協定を締結し、カラチョウザメの行動特性や環境への適応性などの科学的知見を得るだけでなく、周辺域の人々も含めた長江の生態系保全を目指して、三峡ダム下流域における野生のチョウザメの産卵場の調査と上流域における人工飼育のチョウザメの自然条件下での放流調査を実施してきた。この一連の共同研究を契機として、今後、長江全域の生態系保全、生物多様性保護、周辺域の人々の生活向上に視点をおいた総合的な研究協力体制が構築されることを期待したい。
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