岩殿山の魅力に挑戦!
寄稿エッセイ:2007 年 10 月 31 日
山崎俊巳 (エコカフェ運営評価委員)
アプローチ
100 名山もよいが身近な低山も頼もしいと思うようになった。そこには魅力がいっぱい隠れている。
9 月 24 日。新宿発 7 時 30 分、特急あずさ 3 号に慌しく乗り込む。列車内は年配の登山客らしい高揚した笑い声、席は私が座ると満席だ。車掌さんが廻ってきて特急券分を車内精算。車窓からは見慣れた風景。昨夜の雨は上がり、路面は所々濡れている。9 月も下旬になり過ごしやすくなっている。雲は低く、山中では霧雨に祟られそうだ。
8 時 30 分、大月駅下車。駅前は閑散とし、エンジンを止めた空のタクシーが数台に人影が垣間見えるのがやっとだ。自販機でお茶を購入し、軽く屈伸。とぼとぼ調子を整えながら歩き出す。谷間 (たにあい) から稜線に沿って所々雲が沸いている。雨は大丈夫そうだ。ひっそりとした小さな商店街を抜け、20 分も歩くと岩殿山登山口に到着。人影は無い。
歴史と自然から学ぶ

ムシカリの実は何処に
ジグザクに折り返された舗装の坂道を周囲の樹木を観察しながらゆっくりと登ること 30 分、休息所でもある 「ふれあいの館」 に到着。途中、道脇の茂みには落葉小高木のムシカリ (学名:Viburnum furcatum、別名:オオカメノキ) が赤い実をたわわと従え、なかには黒紫色に熟しているものもある。この実は南に渡りをする鳥たちのえさとなり、昔から果実酒に利用している。岩殿山は 634m、一帯はクヌギ、コナラ、サワグルミ、アカマツなどの温暖林とウラジロモミ、イヌブナなど冷温林の混交林を形成。関東の低山に典型的な植生分布である。
「ふれあい館」 でしばし戦国時代にタイムスリップ。岩殿山は歴史景観保存地区に指定されている。その頂上には戦国時代には武田二十四将の一人、小山田信茂の築いた要害城址がある。時に新府城から東に向かった武田勝頼は、信茂の裏切りで、笹子峠の手前、天目山で自刃。1582 年 3 月 11 日である。結局は信茂も織田信勝に殺され、城は廃城に。山頂の先 「稚児落とし」 の地名は、信茂の妻が落城の際に泣くわが子を絶壁下に投げ落としたとの言い伝えによる。この地は人びとの憎悪と絶望の霊気を感ずる。
また、岩殿山の南断崖に 「鏡岩」 と呼ばれる白っぽい巨大な露岩が目に入る。花崗岩質ではなく実は礫岩でできているそうだ。600 万年ほど前に、現在の丹沢山塊 (1100 万年ほど前の海底火山噴火による緑色凝灰岩からなる) が日本列島の関東山地 (1 億年前の砂岩や粘板岩、頁岩、変成千枚岩からなる) に衝突し、両者の間に生じた細長い浅海に堆積した礫と粘土 (桂川礫岩層) が、圧迫により固化、隆起し、さらに風化や桂川による浸食などにより現在の岩殿山を形成しているということだ。壮大な大地の物語である。
山頂から稚児落としへ
10 時、山頂を目指し 「ふれあいの館」 を後にする。石段を一気に登ると 20 分ほどで自然の巨石を利用した城門跡にでる。さらに 10 分ほど登ると本丸があったと思われる山頂に到着。周辺には二の丸、三の丸、蔵屋敷、馬場などの址も点在している。低い雲は消え、空に早い雲の流れがあるが雨は落ちない。大月の市街地を眼下に遥か遠くに富士山の優美な姿に心を奪われる。全く素晴らしい眺望だ。時を忘れ、至福が身体中を支配。

最初の鎖場は雲霧
先を急ごう。登ってきた道を少し戻り、樹林や岩場のある尾根伝いの本格的な登山道に入る。樹林帯を行くと鎖場のある岩壁にでる。鎖を頼りに 5、6m 直登し、鐙岩へ。暫く進むと今度は階段付の鎖場だ。次は深く落ちた絶壁面を鎖を頼りにカニの横ばいのように足を進める。兜岩へ出る。更に天神山の小さなピークを越え、瘠せた尾根をしばらく進むと深く切れ落ちた絶壁 「稚児落とし」 が目に入いる。ここまで山頂から 2 時間。
「稚児落とし」 の手前の絶壁の上部で小一時間ほどの昼食。他に先着のパーティが一組。年配の男性 3 名。登山靴を脱ぎ開放感に浸る。残念ながらトンビ、チョウゲンボウなどは見られない。雲の流れは西から東へと早く、眼下に広がる市街地や中央高速の車列、煙る山々の眺望は抜群である。おにぎり、野菜煮物、鰻玉、おしんこも旨い。黒酢ジュースが全身の疲れを癒してくれる。
エピローグ

稚児落としはスゴイ
稚児落としは馬の背のような稜線であって、南面が垂直に切れ落ち、北面も険しい急峻で落葉樹林が落ち込みながら広がっている。稜線で西から東へ飛んでいくアキアカネの群れを目撃し、シャッターを切ったが写真に収めることは叶わなかった。下山は足早である。浅利集落を抜け、45 分ほどで大月駅に到着する。時計は 2 時 15 分。2 時 46 分、大月駅発、特急かいじ 188 号。4 時、新宿駅着。なかなか見どころの多い岩殿山であった。
なお、岩殿山は、9 世紀末、天台宗岩殿山円通寺が開創され、門前町を形成し、13 世紀には関東有数の修験道の地として栄えた。円通寺は、明治に入り、廃仏毀釈で廃寺となり、現在では山頂付近および東麓に遺構が残っている。また、甲州街道の大月から東京方面の猿橋付近では、桂川がつくる渓谷の岸壁に丹沢山塊の最北部が露呈しているのが確認できる。このように他にも四季に折々と楽しめる散策コースがあるのが嬉しい。
以上
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